質問できるかな?
「〇〇について、どう思う?」
仕事ができる方というのは、たいていが質問上手です。
全体会議やトップ講話、セミナーなどでは、
「…ということで、私の話は以上になります。最後に何かご質問があれば、どうぞ」
という場面があるものです。
私の経験則からみて、この質問タイムに大勢の方々が、次から次へと発言される業界というか、職業があります。
それは 医師 です。
セミナー会場には、複数個所にマイクスタンドがたっていたりします。
そして、演者がまだ話を終えていないのに、マイクスタンドに立って、質問時間が来るのを待つという先走りな方すらいます。
そのときの私は、セミナー主催側の事務局だったのですが、本当におどろいたものでした。
だって、会社の会議とか、中堅社員研修など、質問するヒトなんてほとんど見ませんでしたもん。
質問をして、その回答を得ることで、理解が深まる…。
質問をうけ、それに回答することで、改めて違う視点があることに気付ける…。
双方にとって、良いことがおきる。
質問とはそういうものなんだな、と。
ただし!
ひとつだけ条件があります。
それは「良い質問である」ということなんです。
多くの場合、この「良い質問」ができないから、質問をためらうわけですよね。
「バカ」と思われたくないじゃんって。
また、何か発言(実は、この時点ですでに質問ではなくなっている)をしないと、自分の評価にかかわると思うパターン。
無理くりに、何か「発言」しようとするから、演者にとって「俺の話を聞いていなかったのかよ」となる。
なんでこうなるのか…。
それは「考えていない」から。


質問というものは、その相手だったり、仕事だったり、何らかの問題だったり…。
要するに「対象に興味があること」が最低条件です。当たり前ですよね。
そして、よりよい場にしたいのなら、当然「事前準備」をしますでしょ。
彼女と初めて旅行するとなったとき、行き先やホテルを適当に決めますか?
一緒に食事をするとき、そこではじめて「好きな食べ物」」を聞きますか?
よりよい「場」にしたかったら、あらかじめ情報を入手して、考えますでしょ。
彼女に対してできることが、仕事や勉強になると、なぜかできなくなる。
彼女のときはできていたのに、妻になったらやらなくなった(夫に対しても同様)。
これも明らかでしょ。
興味が薄れているか、愛情がゆるくなっているか、安心しきっているか…。


仕事ができる方というのは、たいていが質問上手です。
全体会議やトップ講話、セミナーなどでは、
「…ということで、私の話は以上になります。最後に何かご質問があれば、どうぞ」
という場面があるものです。
私の経験則からみて、この質問タイムに大勢の方々が、次から次へと発言される業界というか、職業があります。
それは 医師 です。
セミナー会場には、複数個所にマイクスタンドがたっていたりします。
そして、演者がまだ話を終えていないのに、マイクスタンドに立って、質問時間が来るのを待つという先走りな方すらいます。
そのときの私は、セミナー主催側の事務局だったのですが、本当におどろいたものでした。
だって、会社の会議とか、中堅社員研修など、質問するヒトなんてほとんど見ませんでしたもん。
質問をして、その回答を得ることで、理解が深まる…。
質問をうけ、それに回答することで、改めて違う視点があることに気付ける…。
双方にとって、良いことがおきる。
質問とはそういうものなんだな、と。
ただし!
ひとつだけ条件があります。
それは「良い質問である」ということなんです。
多くの場合、この「良い質問」ができないから、質問をためらうわけですよね。
「バカ」と思われたくないじゃんって。
また、何か発言(実は、この時点ですでに質問ではなくなっている)をしないと、自分の評価にかかわると思うパターン。
無理くりに、何か「発言」しようとするから、演者にとって「俺の話を聞いていなかったのかよ」となる。
なんでこうなるのか…。
それは「考えていない」から。
質問というものは、その相手だったり、仕事だったり、何らかの問題だったり…。
要するに「対象に興味があること」が最低条件です。当たり前ですよね。
そして、よりよい場にしたいのなら、当然「事前準備」をしますでしょ。
彼女と初めて旅行するとなったとき、行き先やホテルを適当に決めますか?
一緒に食事をするとき、そこではじめて「好きな食べ物」」を聞きますか?
よりよい「場」にしたかったら、あらかじめ情報を入手して、考えますでしょ。
彼女に対してできることが、仕事や勉強になると、なぜかできなくなる。
彼女のときはできていたのに、妻になったらやらなくなった(夫に対しても同様)。
これも明らかでしょ。
興味が薄れているか、愛情がゆるくなっているか、安心しきっているか…。

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